赤ちゃんの体幹の大切さを知ろう!

ご報告

positive active creative
PACベビースクールマスタートレーナーのさよりです。

皆様にご報告がございます。
6月末に由美先生の末っ子君が不慮の事故のためこの世を去りました。
先日、四十九日法要を終え、皆様へご報告させていただきます。
以下由美先生からのコメントです。
お読みいただければ幸いです。
尚、今後もツユキ式は皆様へ元気いっぱいになってもらえるように
頑張って活動してきますのでどうぞ宜しくお願い申し上げます。
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【ご挨拶】 母 由美

力丸との突然のお別れに日を追うごとに家族全員、悲しみがどんどん深くなっていきますが、少しずつ前を向いて歩いていこうとしています。

火葬場が混んでいたことで亡くなってから9日間 自宅で最後のりきとの時間を過ごすことができました。6月19日、夏至の暑さが始まった頃でした。亡骸が自宅に戻ってから、クーラーを最大限にかけ、毎日冷えた部屋で毎日冬の布団をかけて家族全員でりきの近くで寝ました。夜中、暗くなった部屋で外からの薄暗い光で部屋を見渡すと長男、長女、次女、だけで

なく、力丸もただ眠っているように見えました。

エンバーミングという薬での処置をお勧めされましたがそれをしないことを決め、とにかくお別れの日まで体が痛まずもちますように。「りき頑張れよ」とみんなで声をかけながら過ごしました。

長女は爪を切ったり、クリームを毎日顔に塗ってあげたりしていました。

好きだったヨルシカの曲をりきの携帯から絶やさず流しました。

お通夜の日の朝には移動せずにお風呂(ゆかん)に入れてあげることもでき、家族みんなで体を洗ったり、いつも使っている我が家のシャンプーを使って髪の毛を洗って、タオルで拭いて、ドライヤーをかけてあげました。

お別れの旅立ちに着る洋服、長男があるバイト代で買ってあげたシャツを着せました。下のズボンは、いつも着ている服、と思っていたら、お尻のところが破れてしまっているズボン以外はもう小さくなっているか、ほとんど着たことなかった服、こんなに急激にりきは大きくなって、着る服も無くなっていたなんてこと、その時に知りました。6月末には学校の自然体験教室を予定していたため、りきには好きな洋服をそれに合わせて友達と買いに行ってくれば?と話をしていて、りきも、誰と行くか考えているんだと言っていたところでした。急遽、ミシンを出してきて、縫って、よくきていたズボンを履かせてあげることができました。

一人で寂しくなく天国まで行かれるように、何を棺に入れてあげたら良いか、みんなで考えました。

小学生の時からずっと使っていたリュック、大好きだったヨルシカのCDの歌詞カード、大好きだった小説、ゲームセンターで大好きだったMAIMAIという音ゲーをする時に使う手袋と今までの履歴が残っている専用のカード、幼稚園の時の先生が持ってきてくれた(店で買ったものでない)花束、お友達が持ってきてくれたりきが大好きだったジュースやお菓子、そして、中学の同級生が折ってくれたたくさんの鶴を入れました。私はりきが天国までの道のりでお腹が空いたら食べられるようにとよく使っていたお弁当箱に葬儀の朝、カツ丼弁当を作り持たせました。戦争に子供を送り出す親はこんな気持ちなのかなとふと思ったりしていました。好きだった音楽を聴かせるため火葬場へ向かう車の中でもスピーカーで音楽を流し続けました。

自宅にいる間、たくさんの方がお別れに来てくれました。

いち早くきてくださったのは子供達がみんな世話になっていて、りきも小学生の時からお世話になっているとてもユニークな塾の先生。写真を撮るのがプロ並みの腕で、遺影を考えた時にその先生が撮ってくださった写真にしたいなと思っていたら、きてくださった時にすぐに用意してくださいました。先生が小学校の頃から撮ってくださっていた写真を綺麗に印刷してたくさん届けてくださったり、食事を届けてくださったり、その寄り添いがとてもとても心強かったです。

お花がどんどんと増えていき、りきの周りがぱっと明るくなりました。

学校でのりきの訃報のお知らせは、ちょうど期末テストと重なってしまっていたため、終了した次の朝(亡くなって5日目の6月24日)に全校生徒向けに校長先生が放送でお知らせするということになり、それに伴い、塾でのお知らせも同じ日になったため、塾の先生も、学校の先生も、それまでの間は生徒の前では何事もなかったようにすごくことがとても大変だったのではないかと思います。

学校ではショックを受けて具合が悪くなる子供たちの対応のために、カウンセラーの先生を4人体制で対応くださり、保健室から教室に戻れなかった子も多くいたと聞きました。葬儀場での式ではなかったため、学校からは先生が10人くらいのグループを作って、それぞれ先生が付き添ってくださって、お別れがスムーズにできるように配慮してくださいました。

家族でよく行った料理店からりきが大好きでいつも食べていたものが届きました。りきの小さい頃の写真を印刷したり、画像のデータを持ってきてくれたママ友、練習している姿が映っている写真や画像を持ってきてくださった習い事の先生、りきの思い出の品を丁寧に見てくださる方。本当にたくさんの人がお別れに来てくれました。

飛行機や新幹線で遠方から駆けつけてくださった方もたくさんいました。

少4の時に全国から集まった子供達で1年間家族のように過ごした仲間(山村留学時)がたくさん集まってくれました。その仲間たちは、りきの周りに座り、言葉もなく動けないままずーっと離れられない様子を見て、私の方がどうにか元気づけないとと思ってしまうほどでした。りきを家族のように思ってくれているのだなと改めて思い、その様子も本当に嬉しかったです。りきの好きだったものを友達がたくさん届けてくれました。私が知らなかったたくさんの思い出話も聞かせてくださいました。

できることは何でも、と思って、思いつく限りのことを全部できたのは旅立ちの日まで、自宅にいることができたからだなあと思います。

この自宅で、という選択に至るまでもストーリーがあります。

葬儀屋さんと話を進め、一番安いプランを選んだにも関わらず、高額な金額を提示され、思考停止中の家族はそんなにかかるんだ、と思いながらもそのまま話が進みましたが、次の日、大阪から駆けつけてきてくれた私の友達が「高い!ありえへん!」と叫んでくれたことで、そこから家族全員、頭が働き出し、スマホ、パソコンを駆使し、そもそも葬儀とは、というところから調べ、家族葬、自宅葬などのプランが浮かんできました。

本当にやりたい家族の見送りは何かを一生懸命考えました。9日間もあるのだからその間に自宅でお別れの時間を作り、最後の葬儀は家族葬にすれば良いのでは、というところに行き着きました。葬儀屋さんを紹介してくださった方に申し訳ない気持ちでしたが、私たちの気持ちを伝えたら、自分のことは気にしないで良いから、本当にやりたいようにしてほしい、という言葉をもらい、思い切って葬儀屋さんを途中で変えました。金銭的にももちろん良かったのですが、何よりも、家族で最後まで自由にやりたいようにできたことが本当に良かったです。

無事に葬儀も終わりお骨になってうちに帰ってきました。

りきの生まれてきた時からの思い出を整理しようと思い、その日から整理し始めてみると、昔のiphone、デジカメ、ハンディーカム、とにかくバラバラでどこに何があるのか全くわからない状態でした。長男の時から写真を整理していなかったため、2万枚以上の画像データ、70本くらいあるminiDVテープ、をとにかく整理を始めました。今までの画像を振り返っていくと、全く忘れていた子供たちの日々の生活を思い出してきました。

すっかり忘れていた習い事などの写真が出てくると、こんなことしてた?と思い、聞いてみたくなり、長男に、ダンス教室通ってたのお覚えてる?とか、次女に、お絵かき教室通ってたの覚えてる?など聞いてみると、忘れてたけど思い出した〜などの返事が返ってきます。りきのことを思い出して、ここどうだったかなと疑問が出てくると、聞いてみよう、と思ってしまい、あ、りきはもう聞けないんだ、などといちいち夢から覚めて辛い現実と改めて向き合う、などという日々が続いています。

りきの小さい頃からのお絵かき帳、学校の図工の作品、和太鼓のバチ、英検の合格証、ランドセル、他にもたくさん、、中学の制服はコロナの関係で数回(記憶だと5回くらい)しかきていない(毎日体操服)ため、シャツなど、一度も着なかったものもあります。

たくさんある思い出の整理が全然終わらないまま四十九日法要の日(8月1日)になりました。コロナの影響で法要は10人以下とお寺さんから言われて、こんなところにもコロナの影響があるんだなと改めて思いました。

いよいよお墓に納骨です。棺の中には燃えないものを入れられなかったため、骨壷に入れるものを考えました。普段使っていたメガネ、ずっと音楽が聴けるようにワイヤレスのイヤホンを入れました。

お骨を持ってお寺さんに向かうとき、ふと、りきはお墓に入っている私の両親や他のご先祖様の誰もあったことがないから、緊張しちゃうかも、その時のために、家族の写真を入れてあげたい、と思いつき、法要に遅刻しそうなくらいギリギリまで時間がかかってしまいましたが、無事に写真を入れることができました。その写真を入れたことで、1人で行かせなければいけないという辛い家族みんなの心も和らぎました。

実際の四十九日は8月6日。環境活動家の長女は生放送があったので、長男と次女と3人でささやかに夕飯を食べ、仏壇に手を合わせました。りきがいた時は一人くらいいなくても(5人のうち4人いる)賑やかなイメージでしたが、4人のうち一人いないと3人、というのは本当に寂しく感じました。

りきは中2でしたから、まだまだ手がかかかるなと子育てモードスイッチオンのまま、大学を卒業するまで、少なくとも後9年弱は子育てが続くと思っていました。毎日お弁当を作る必要もなくなり、後は大学生になったばかりの次女が必要な日に作るだけ。

あと9年と思っていた気合が一気に抜け、力が入らない毎日を過ごしています。たくさんの方に心配していただいています。本当にありがとうございます。

3人の子供たちと私のことを天国から見守ってくれる役割に変わったりきが心配しないように、頑張って進んでいきます。

でももう少しだけ、涙を流したいです。

もうハグすることもできません。

何気ないタイミングで、背中からふわっと両手を回して近寄ってくれる優しいりきがもういません。

朝、起こしてもまた寝てしまい、早く起きなさいー、お弁当持ったの?水筒は?という日常もなくなりました。

夏休みには日常を離れてどんな体験をする機会を作ろうか、塾と部活の予定を考えながら、ワクワクしながらネットで探したり、学校からのお知らせの中にあるお祭りや夏休み体験企画などから何かりきにとって最高の夏休みななる企画はないかなと思って、これどう?とか、あれ行ってみる?と聞いたりすることもなくなりました。

去年予定していたけれど、延期になっていた逆さまつげの手術をしないと眼球に傷がいっぱいついていると眼科の先生に言われてるから、学校の行事を見ながらいつにしようか決めないと、という心配も必要なくなってしまいました。

直前まで続けていた吹奏楽部。辞める決断をしたのは「音楽は演奏するより、聞く方が好きだ」という理由だった。小さい頃からピアノをやり、絶対音感あり、習った曲を転調して弾いて驚かせたり、和太鼓もやり有名アーティストのコンサートに出る機会があったり、中学では全国大会に出る実力派の吹奏楽部でチューバをやっていたので、音楽づくしの毎日でした。そんな中、、自分で弾くより聞く方が好き??と思いましたが、たくさんやってきたんだな、またそのうちやりたくなったらやれば良いな、音楽は何歳になっても楽しめるんだから、いつでもできる、だから今やりたいことが音楽でないなら他のやりたいことを探していこう、と話していました。

りきは小学校の時の選択授業でプログラミングを選択し、簡単なゲームを作りました。授業参観でそのゲームを体験しましたが、とても工夫のある面白いものでした。

中学になってからある人にプログラミングが向いていると言われたことから、将来はプログラミングをやりたい、と言っていました。誰も考えつかないような音ゲーのプログラミングで世界を驚かすのでは?なんて思っていました。

忘れ物、事が多くその解決のため家の随所に貼ってそのままになっているメモ、例えば「歯を磨け」「イルム(塾)」などのりきのメモもそのまま。

去年の中学の入学式が4月にあったのに、コロナで実際に学校が始まったのは6月、学校が始まるまで1回しかあっていない友達の顔を覚えようと入学式で撮ったクラス写真をベッドの横に貼っていましたが、それもそのまま。

脱ぎっぱなしの靴下、使ったままのマスク、畳んでもいない洗濯物、学校のロッカーに入っていたものなどを忘れないように、他にもたくさん目に焼き付け、しっかりとりきの人生を振り返り、生きた証を残し、そして前を向いていきます。(とりとめもない話ばかりですみません)

From everyone

お別れの時にたくさんの人から聞いたりきの話、全ての人に共通していたのは「いつもニコニコ優しく笑っていた」「優しかった」という言葉。本当にそうでした。写真を見返してもほとんどが笑っている顔。多くを語るタイプではありませんでしたが、りきはたくさんの人に笑顔を届け、たくさんの人を癒して来た人生でした。短かったけれど、本当にたくさんの人と出会い、たくさんの経験をして来たりき。

そんな中でもりきの人生で最初で最後の一番のターニングポイントはりきが2歳の時。

「この子にはピアノを買ってあげると良い、本物の音を聞かせてあげて」とミュージシャンの方に言われピアノを買いました。

いつか聞いてみたかった「あの時どうしてピアノを買うことをお勧めしてくれたのか?」ということをりきが亡くなってから聞くことができ、涙が止まりませんでした。

そんなエピソードから音楽の天才に育ったりきの13年間の短くも濃かった人生をまとめたものを作っていますので、できあがったら、ぜひみていただけると嬉しいです。出来上がりましたら、またお知らせさせていただきます。

Special thanks

訃報を聞きつけ大分から飛んで来て、一番大変な時に数日間ずっとそばで露木ファミリーを支えてくださった佐藤陽平さんに心より感謝を申し上げます。ありがとうございました。

To everyone

我が家の末っ子、りきが天国に迷わず行かれるように
どうぞ皆様の祈りの力をお貸しください。

由美・絹悟・志奈・初歩

 りき13歳

りき2歳

りき9ヶ月

【りき旅立ちの集い】写真

9日間、自宅にいた時から葬儀までの写真を撮ってくださった塾の先生の優しい写真が見れるサイトがあります。

塾の先生が公開しているブログでりきのことを書いてくれました。

【2021.06.29 モノローグ】

小学生のころから通ってくれていた生徒が急逝した。

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